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2011年10月16日(日)更新

理想の死

小林正観さんの葬儀から帰る新幹線の中で再び「生きる大事・死ぬ大事」を読み返していますと・・・


◎生きる大事・死ぬ大事




















『理想の死』
という話しがありました。

内容は、世界的な冒険家”植村直己さん”と写真家”星野道夫さん”の死を取り上げ、理想の死について書いておられます。



「植村さんも星野さんも、大変惜しまれた死ではあったのですが、この人たちに共通するものがあります。それは、それぞれの人にとって、理想的な死に方だったのではないか、ということです。

植村さんは山が好きであった。その山で遭難をして死んだ。いつかはどこかの山で必ずや死ぬことになっていたのかもしれません。星野道夫さんは、野生動物の写真を撮っていた人ですが、どこかで必ずや野生動物に襲われて死ぬことになっていたのかもしれません。

例えば、この二人が東京の病院で、たくさんの管を差し込まれて長い間闘病生活を送りながら亡くなっていく姿、というものが想像できたでしょうか。・・・・(中略)

今のうちに、生きているうちに、元気なうちに、頭の中で「こういう死に方がいい」「こういう死に方が自分にとって望ましい」と思うことができたら、多分、その死はそのようにその人にやってくるに違いありません。それこそが本当に望ましい死なのかもしれないのです。

死ぬことを嫌がるのではなく、正面から死を見据えて、どういう死に方が自分にとって本当に望ましいのか、私にとっての私の一番美しい死に方というのはどういうものなのかを考えたとき、それが理想的なかたちで自分のところにやって来るのかもしれません。」



以前も読んだはずですが、正観さんの葬儀で、亡くなられる数日前のお話を聞いて、まさに『理想の死』までシッカリと実践された方だと気付きました。

最近では正観さんの肩書きは「心学研究家。コンセプター。作詞家&歌手。デザイナー(SKPブランドオーナー)。」などとなっていますが、もともとは「旅行作家」さんであり旅大好きな方でした。

ですので、毎年数回仲間といろんなところに旅行に行かれていました。亡くなられる前日までも、東京のお仲間の会社さんが主催された”上高地ツアー”に一泊二日(10月10日、11日)で出かけておられました。上高地では、2年半前に体調を崩されてから今までに無いほどのお元気さで、約2キロの上高地の散策も元気に歩かれ、夜の茶話会では、最近ドンドン体調がよくなって来ましたから、今まで控えていた5時間講座を復活させます!とか、忘年会もやりましょう!!とか元気と気力がみなぎってこられた様子だったそうです。

そして、翌日の昼にツアーは解散し、自宅に戻られた正観さんが次の日の早朝(10月12日、午前5時38分)に生還されることなく(^^;旅立たれました。

まさにシナリオ通りの『理想の死』であったと思います。

私には実践家の正観さんが、生き方はもちろん死に方までもしっかりとシナリオを実践しお手本を示して下さったと感じています。



最後に、心の旅人、正観さんの辞世の句をご紹介して終わります。


   わが形見  

   高き青空 はいた雲

   星の夜空に 日に月に
             
                      小林正観



葬儀が終わり、会場から外に出ましたら、今朝までの曇り空が嘘のような、最高の青空が広がっていました。
ありがとうございました!







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