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2012年01月24日(火)更新

”高天原”は近江・湖東平野にあった!?




天照大神をはじめ、古代神々が住んでいた「高天原」は近江にあった!!

この事を実際に検証しようと、滋賀県在住で私の友人2人が結成された・・・

『近江磐座研究会(いわくらけんきゅうかい)』


のホームページというか、ブログができました。


小林正観さんの近江高天原説にある、

「旅行作家としては、高天原は近江平野だったという結論なんですよ。近江平野、湖東平野ですね、琵琶湖の東側。

旅行作家としてはいろんな歴史的な文献も調べるんですけども、完全な形で残っている風土記が二つあって、『常陸(ひたち)国風土記』と『出雲国風土記』。『出雲国風土記』には出雲の国が一番の大国になったときに支配していた国と地名が全部載っています。

その『出雲国風土記』の中に、地名が抜け落ちているところが一箇所あるんです。それが近江湖東平野で、琵琶湖周辺は支配地域の中に入っていない。多分ここが高天原だったんだろうと私は推測しています。」


や、

「私は磐座(いわくら)の研究家でもあるんですが。きれいな三角山を日本では古来から神名備山(かんなびやま・神なびいてる山)というふうに呼んできました。三角形のきれいな形をしている山は、湖東にはどのくらいだろう、30個ぐらいあるのかなあ、その30に全部登ったんです。

その全部の山に磐座があるんですよ。60トン、70トンの岩を縦横に組みつんで、頂上をつくってるんです。
その磐座をつくって歩いた民族が存在するらしい。全部の山に磐座がある。まさに磐座の集積地です。今のクレーンでも百トンの岩は持ち上がらないと言いますからね。これがまず近江平野が高天原だっただろうという根拠の一つです。」


に、想いを寄せて、

今自分たちが住む滋賀に、太古の昔には、天照大神をはじめとする神々が住んでおられたことを、検証・研究する活動なんて、本当にロマンにあふれ素敵だなと思います。


私もこれからちょこちょこ参加させてもらうことにしました♪


みなさん、たまにはロマンを追いかけてみませんか?(^^)v

最後までお読みいただきありがとうございます。