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2012年02月28日(火)更新
千利休「人生の本質は淡味にあり」
今日、2月28日は千利休が秀吉によって切腹させられた日、命日であるそうだ。
お茶は、我が家でも両親が特に母親が煎茶が好きで、今でも毎日楽しんでいる。
たまに実家に行くと、必ずお茶を淹れてくれる。
宇治の煎茶を、備前焼の素焼きの急須で入れるのが我が家流で、ぬるめのお湯でゆっくり淹れた、一杯目の甘味と香りは心豊かにしてくれる贅沢な一杯である。
そして、少しづつ熱いお湯で淹れる、2杯目にはやや渋みが、3杯目には苦味が出てくるがそれはそれで大人になれば楽しめる味わいがある。
しかし、4杯目以降は、かすかにお茶の色は付いているが出がらしで、味としては、とても薄く喉を潤す程度に飲むものと思っていました。
ところが、千利休はこの4杯目以降のお茶の味を「淡味(たんみ)」と名づけ、この甘味も、渋みも、苦味も無くなった白湯のような味わいが茶の醍醐味と言っていたようです。
「この淡味の良さがわからない限り、お茶は永久に理解ができない」
と。
そんな利休ですから、晩年、金の茶室を建ててしまうようになった秀吉とは思想的に対立して行ったのはよくわかります。
私自身も、この「淡味」の話しを知り、経営も人生もまだまだ修行が足りんと反省させられました。
出がらしのお茶。
日々なんでもない日常。
空気、水、光・・・あたり前に与えられているもの。
こうしたすべてに感謝し、出がらしのお茶を楽しむように、いつも通りの日常に、人生の面白さ、楽しさ、幸せ、を味わいながら生きられる人になりたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます。
お茶は、我が家でも両親が特に母親が煎茶が好きで、今でも毎日楽しんでいる。
たまに実家に行くと、必ずお茶を淹れてくれる。
宇治の煎茶を、備前焼の素焼きの急須で入れるのが我が家流で、ぬるめのお湯でゆっくり淹れた、一杯目の甘味と香りは心豊かにしてくれる贅沢な一杯である。
そして、少しづつ熱いお湯で淹れる、2杯目にはやや渋みが、3杯目には苦味が出てくるがそれはそれで大人になれば楽しめる味わいがある。
しかし、4杯目以降は、かすかにお茶の色は付いているが出がらしで、味としては、とても薄く喉を潤す程度に飲むものと思っていました。
ところが、千利休はこの4杯目以降のお茶の味を「淡味(たんみ)」と名づけ、この甘味も、渋みも、苦味も無くなった白湯のような味わいが茶の醍醐味と言っていたようです。
「この淡味の良さがわからない限り、お茶は永久に理解ができない」
と。
そんな利休ですから、晩年、金の茶室を建ててしまうようになった秀吉とは思想的に対立して行ったのはよくわかります。
私自身も、この「淡味」の話しを知り、経営も人生もまだまだ修行が足りんと反省させられました。
出がらしのお茶。
日々なんでもない日常。
空気、水、光・・・あたり前に与えられているもの。
こうしたすべてに感謝し、出がらしのお茶を楽しむように、いつも通りの日常に、人生の面白さ、楽しさ、幸せ、を味わいながら生きられる人になりたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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