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2012年03月12日(月)更新
他力(たりき)
他力 (講談社文庫)
昨夜は、東日本大震災から1年ということで、テレビは殆どが特集をやっていました。
その中で、九死に一生をえられた方々のドキュメントをみていますと、
・長年操縦してきた船に助けてもらった。
・桜の木が瓦礫をせきとめ助けてくれた。
・流れてきた家の屋根にうまく打ち上げられた。
などなど・・・人間の能力を超えたところでの奇跡がたくさん起こっていたようです。
そんなとき、ちょうど五木寛之さんの「他力」という本を読んでいまして、本当に他力を実感させられました。というか、全部「他力」なんじゃないかと。
あっ、もちろん他力とは、自分では何もせず、他人に頼ったり、人任せにするとか、無責任といった意味ではありません。
もっと深い、他力本願の本来の意味・・・
「「他力本願」のうち、「他力」とは一般には、仏・菩薩・聖者が、自らが持つ優れた能力をもって他の菩薩や衆生に加え施す、その力(加被力)をさす。また「力」(りき)は、「力用」(りきゆう)のことであり、はたらきのことを指す。その意味で他力とは自ら以外の他者のはたらきのことをさす。浄土真宗で「他力」とは、「他」とは阿弥陀仏を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。「他力本願」の場合、「他力」の語意はこの意味である。
また「本願」とは、『無量寿経』に説かれている仏自身が法蔵菩薩という名で修行をする際に、師である世自在王仏の前で立てた誓いが「願」であって、その願が成って衆生はその願力により、浄土へ往生する。よって「他力本願」という。「他力」とはそのまま「阿弥陀仏の本願のはたらき」であり、さらに自らのはからい、もしくは行では、浄土往生は成就しないという意をももつ。この意味で「他力」の対語は、「自力」であるが、浄土教ことに浄土真宗では「自力」の対語は「他力本願」であり「他力」ではない。」(wikipediaより)
から、五木寛之さんが考えられている「他力」です。
私のあさはかな理解ですが、以下の事柄と「他力」は共通すると考えています。
・おかげさま
・サムシンググレード
・宇宙
・神、仏
・大自然(八百万の神)
・・・などなど、目に見えない力、我が計らいではない何者かの働きを感じずにはいられません。
そして、この世に生かされている意味を考えたとき、周りのすべてに感謝し喜ばれるように生きることに尽きるのではないかと改めて思います。
まず、
・目の前にいる人に感謝しお役に立ち、喜ばれる。
・周りにいる動物たちにも喜ばれる。
・周りにある植物にも喜ばれる。
・今叩いているキーボードにも、座っている椅子にも、コーヒー飲んでるマグカップにも感謝し大切にすることが「他力」に報いること、喜んで頂くことなのではないかと思います。
みなさん「他力」を感じますか?
最後までお読み頂きありがとうございます。
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