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2011年10月27日(木)更新

「SIPS」って何だ?

SIPS
~来るべきソーシャルメディア時代の生活者消費者行動モデル概念~

 S    (Sympathize : 共感する)
 I      (Identify : 確認する)
 P    (Participate : 参加する)
 S    (Share & Spread : 共有・拡散する)


「SIPS」この言葉を始めてお聞きしたのは、先月の高知のe商人塾合宿での込山民子さんの講演でした。

”共感”がこれからのビジネスにおいてとても重要なキーワードになると感じてはいましたが、すでに消費者行動を「SIPS」としてまとめられているお話をお聞きして、頭のいい人は世の中にたくさんいらっしゃると感心していました(^^;


SIPS は、AIDMA や AISAS の次のカタチ「S(Sympathy:共感)→ I(Identify:確認)→ P(Participation:参加)→ S(Share:共有)」と言われてもいますし、

大元の電通さんは「「AISASはなくなるのか」「マスメディアはいらなくなるのか」というお問い合わせがあるので、簡単に冒頭で書いてみたい。まず、AISASはなくならない。SIPSはあくまでもソーシャルメディアが十分に浸透した時点での、ソーシャルメディアに関与が深い生活者の行動モデルの考え方であり、AISASにとってかわるモデルではない。」


まあ、いずれにしても、WEBに関わるビジネスを突き詰めていると、否が応でもたどり着く「共感」という感覚は今後はさらに大切になってくることは間違いない。


しかし、ここで最も大事なことは、自身の事業や商売の、何で、どこで、共感いただけるようにしていくのか?の具体策を考え、行動に移しているかである。


みなさんの事業やご商売は
”何で、どこで、誰が、誰に、どんな風に”共感してい頂きますか?



SIPS原典⇒ http://www.dentsu.co.jp/sips/index.html










2011年10月25日(火)更新

WEBマーケティングの本質は・・・「壁打ちテニス♪」

WEBマーケティングとは・・・

 『伝わる情報発信による顧客の創造』である。

と、講演等でお話しさせて頂いておりますが、これはビジネスへのネット活用(WEB活用)の本質的なことと思っています。


ところが最近、ふと、その前段階にもっと本質があるのでは?と思い始めていたら・・・

なぜか「壁打ちテニス♪」が思い浮かびました(^^)















テニスをやっておられる方なら、少しは壁打ちテニス経験があると思いますが、無い方は壁に向かってのボール投げを思い浮かべて下さい。

壁打ちテニスは、一人でもできる手軽で効果の高いテニス練習方法です。

なぜ効果が高いかと言いますと、自分がどこにボールをコントロールして打つか?どれだけのスピードで打つか?どんな回転のボールを打つか?などによって、自分に返ってくるボールの行方や性質が決まりますから、ラリーを続けようと思うとボールコントロールが良くなるんです。


例えば、壁に当たらないホームランを打ってしまえばボールは返って来ません(当たり前(^^;;)。
たとえ当たったとしても早いボールで遠いところに打ってしまっては帰ってきたボールに追いつけません。
逆に打ったボールが弱すぎても、打ち返すことができなくなったりします。


これって、WEBマーケティング、インターネットでの情報発信と一緒やんか!
と、気がついたのです。


インターネットでの情報発信も自分が発信する情報を

「どこに向かって、どんな情報を発信するか?」

で、すべて決まってしまうんだと。


お客さまに全く伝わらない情報は発信しても壁打ちのホームランと一緒で何も返って来ません。
伝えたいお客さまに対して、発信する情報の方向がはずれていると、自分にとってもハズレの情報が返ってくる。
無理したり背伸びして誇張したような情報を発信すると誤解された答えが返ってくる。


逆に、


伝えたいお客さまに役立つ情報を発信すると仕事に繋がる答えが返ってくる。
伝えたいお客さまに喜ばれる情報を発信すると感謝が返ってくる。
伝えたいお客さまに共感していただける情報を発信するとファンになっていただける。



すべては、情報を発信する側で決まる。発信する側に責任があるのです。


作用 反作用
動 反動
因果応報


昔から言われている通りの法則がWEBマーケティングにも生きているわけです。


キリストも言っています。

「許す者は許される。許さない者は許されない。裁く者は裁かれる。裁かない者は裁かれない。」
「愛すれば愛される。愛さなければ愛されない。」
「感謝すれば感謝される。感謝しなければ感謝されない。」



ということで、皆で・・・


 愛ある情報発信をしていきましょう♪


最後までお読みいただきありがとうございました!







2011年10月19日(水)更新

念ずれば花ひらく

素敵な言葉に出会った。

「念ずれば花ひらく」
詩人、坂村 真民さんの有名な言葉である。


詩集 念ずれば花ひらく
詩集 念ずれば花ひらく

この言葉は、以前から知ってはいましたが、意味を取り違えていたことに気付かせて頂きました。


「念ずれば花ひらく」とは、


 願いを強く持てば道が開けたり、成果がでる。

 とか

 思いを強く持てば、成功できる。

 とか

 夢や希望、目標をしっかり持っていれば願いがかなう。


などと考えていたところがありましたが、本当はもっと深い~い(^^)意味があったのだと。
そこが重要ではないと気がつきました。

それは、「念ずれば叶う」ではないからです。

そう、”花ひらく”とたとえられている意味の大切さが観えたのです。


何事も「自然(太陽・風・水など)の恵みにまず感謝をし。その時々に応じて、タネを蒔き、水をやり、手入れをするから、苗は成長し、やがては綺麗な花を咲かせ、素晴らしい果実を実らせる。」

ということなんだと。

人間にできることは、

 今をしっかりと生きる。
 今できることをしっかりやりきる。
 目の前の人、目の前の事を大切に働く(傍を楽にする)。


なのですから、思いを持つことよりも、願うよりも、今この瞬間!行動・実践・喜ばれるように働くことが大切なんだと改めて感じさせて頂いた素敵な言葉でした。

ありがとうございました!



「念ずれば花ひらく」
皆さんはどのようにお考えですか?




2011年10月18日(火)更新

独占しない!囲い込まない!経営が理想♪

市場のシェアを奪え!
顧客を囲い込め!
コストダウンを要求しろ!


などと、自社の利益を得るためには至極当たり前のように行われる行為。
そこには短期的な利益は得られるかも知れないが企業の永い繁栄は考えられない。

誰もがやりたくってやっている訳ではないように思うのだが、どうしても数字を求められると行いがちのところがある。


しかし、これからはこうした行為は短期的な利益も生み出しにくい時代に入ったと思う。

  2011年3月11日

そう、この日を境に。



さらに歴史的にみても、上記のような「独占・奪い合い・囲い込み」のビジネススタイルが永く続いたとは思えない。
今もなお輝きを失っていない先人の言葉からもうかがい知ることができる。



◎松下幸之助氏 実践経営哲学より

「企業は社会の公器である。したがって、企業は社会とともに発展していくのでなければならない。企業自体として、絶えずその業容を伸展させていくことが大切なのはいうまでもないが、それは、ひとりその企業だけが栄えるというのでなく、その活動によって、社会もまた栄えていくということでなくてはならない。また実際に、自分の会社だけが栄えるということは、一時的にはありえても、そういうものは長続きはしない。やはり、ともどもに栄えるというか、いわゆる共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない。それが自然の理であり、社会の理法なのである。自然も、人間社会も共存共栄が本来の姿なのである。」


◎近江商人の家訓 三方よし(さんぽうよし)

「近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切であった。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」である。取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを強調した「三方よし」の原典は、宝暦四(1754)年の中村治兵衛宗岸の書置である。」


◎近江商人の家訓 飢饉普請(ききんぶしん)

「天保7~8(1836~7)年の飢饉のとき、藤野四郎兵衛は郷里の窮民救助の一策として、住宅を改築し、寺院仏堂を修築した。最初、領主の彦根藩は譴責しようとしたが、すぐに四郎兵衛の真意を了解し、嘆賞したといわれる。この慈善事業が、飢饉普請と呼ばれて後世に伝えられたものである。明治19(1886)年の関東地方の飢饉においても、埼玉の騎西の出店で小森久左衛門が同様の美挙を行った。 」



そしてこれからは・・・

 分かち合い
 共存共栄
 共感
 調和
 共生
 協力
 共有


こうした言葉がビジネス用語としてたくさん使われることを願っている。


 戦略・戦術・作戦・・・

なんて言葉もう使うのやめませんか?


最後までお読みいただきありがとうございました!







2011年10月16日(日)更新

理想の死

小林正観さんの葬儀から帰る新幹線の中で再び「生きる大事・死ぬ大事」を読み返していますと・・・


◎生きる大事・死ぬ大事




















『理想の死』
という話しがありました。

内容は、世界的な冒険家”植村直己さん”と写真家”星野道夫さん”の死を取り上げ、理想の死について書いておられます。



「植村さんも星野さんも、大変惜しまれた死ではあったのですが、この人たちに共通するものがあります。それは、それぞれの人にとって、理想的な死に方だったのではないか、ということです。

植村さんは山が好きであった。その山で遭難をして死んだ。いつかはどこかの山で必ずや死ぬことになっていたのかもしれません。星野道夫さんは、野生動物の写真を撮っていた人ですが、どこかで必ずや野生動物に襲われて死ぬことになっていたのかもしれません。

例えば、この二人が東京の病院で、たくさんの管を差し込まれて長い間闘病生活を送りながら亡くなっていく姿、というものが想像できたでしょうか。・・・・(中略)

今のうちに、生きているうちに、元気なうちに、頭の中で「こういう死に方がいい」「こういう死に方が自分にとって望ましい」と思うことができたら、多分、その死はそのようにその人にやってくるに違いありません。それこそが本当に望ましい死なのかもしれないのです。

死ぬことを嫌がるのではなく、正面から死を見据えて、どういう死に方が自分にとって本当に望ましいのか、私にとっての私の一番美しい死に方というのはどういうものなのかを考えたとき、それが理想的なかたちで自分のところにやって来るのかもしれません。」



以前も読んだはずですが、正観さんの葬儀で、亡くなられる数日前のお話を聞いて、まさに『理想の死』までシッカリと実践された方だと気付きました。

最近では正観さんの肩書きは「心学研究家。コンセプター。作詞家&歌手。デザイナー(SKPブランドオーナー)。」などとなっていますが、もともとは「旅行作家」さんであり旅大好きな方でした。

ですので、毎年数回仲間といろんなところに旅行に行かれていました。亡くなられる前日までも、東京のお仲間の会社さんが主催された”上高地ツアー”に一泊二日(10月10日、11日)で出かけておられました。上高地では、2年半前に体調を崩されてから今までに無いほどのお元気さで、約2キロの上高地の散策も元気に歩かれ、夜の茶話会では、最近ドンドン体調がよくなって来ましたから、今まで控えていた5時間講座を復活させます!とか、忘年会もやりましょう!!とか元気と気力がみなぎってこられた様子だったそうです。

そして、翌日の昼にツアーは解散し、自宅に戻られた正観さんが次の日の早朝(10月12日、午前5時38分)に生還されることなく(^^;旅立たれました。

まさにシナリオ通りの『理想の死』であったと思います。

私には実践家の正観さんが、生き方はもちろん死に方までもしっかりとシナリオを実践しお手本を示して下さったと感じています。



最後に、心の旅人、正観さんの辞世の句をご紹介して終わります。


   わが形見  

   高き青空 はいた雲

   星の夜空に 日に月に
             
                      小林正観



葬儀が終わり、会場から外に出ましたら、今朝までの曇り空が嘘のような、最高の青空が広がっていました。
ありがとうございました!







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