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2011年10月18日(火)更新

独占しない!囲い込まない!経営が理想♪

市場のシェアを奪え!
顧客を囲い込め!
コストダウンを要求しろ!


などと、自社の利益を得るためには至極当たり前のように行われる行為。
そこには短期的な利益は得られるかも知れないが企業の永い繁栄は考えられない。

誰もがやりたくってやっている訳ではないように思うのだが、どうしても数字を求められると行いがちのところがある。


しかし、これからはこうした行為は短期的な利益も生み出しにくい時代に入ったと思う。

  2011年3月11日

そう、この日を境に。



さらに歴史的にみても、上記のような「独占・奪い合い・囲い込み」のビジネススタイルが永く続いたとは思えない。
今もなお輝きを失っていない先人の言葉からもうかがい知ることができる。



◎松下幸之助氏 実践経営哲学より

「企業は社会の公器である。したがって、企業は社会とともに発展していくのでなければならない。企業自体として、絶えずその業容を伸展させていくことが大切なのはいうまでもないが、それは、ひとりその企業だけが栄えるというのでなく、その活動によって、社会もまた栄えていくということでなくてはならない。また実際に、自分の会社だけが栄えるということは、一時的にはありえても、そういうものは長続きはしない。やはり、ともどもに栄えるというか、いわゆる共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない。それが自然の理であり、社会の理法なのである。自然も、人間社会も共存共栄が本来の姿なのである。」


◎近江商人の家訓 三方よし(さんぽうよし)

「近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切であった。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」である。取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを強調した「三方よし」の原典は、宝暦四(1754)年の中村治兵衛宗岸の書置である。」


◎近江商人の家訓 飢饉普請(ききんぶしん)

「天保7~8(1836~7)年の飢饉のとき、藤野四郎兵衛は郷里の窮民救助の一策として、住宅を改築し、寺院仏堂を修築した。最初、領主の彦根藩は譴責しようとしたが、すぐに四郎兵衛の真意を了解し、嘆賞したといわれる。この慈善事業が、飢饉普請と呼ばれて後世に伝えられたものである。明治19(1886)年の関東地方の飢饉においても、埼玉の騎西の出店で小森久左衛門が同様の美挙を行った。 」



そしてこれからは・・・

 分かち合い
 共存共栄
 共感
 調和
 共生
 協力
 共有


こうした言葉がビジネス用語としてたくさん使われることを願っている。


 戦略・戦術・作戦・・・

なんて言葉もう使うのやめませんか?


最後までお読みいただきありがとうございました!







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